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10オルガス伯の埋葬

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10オルガス伯の埋葬

グレコの数ある作品の中で、非常に大きな作品になっていて画面上は天界と現世に明確に上下分割されています。4m60cm×3m60cmという大きさも目を引きますが、グレコの作品の中でも最高傑作とも言われているのが『オルガス伯の埋葬』です。この作品は1586年から1588年にかけて描いた絵画です。(サント・トメ教会所蔵)

荒れ果てていたトレドのサント・トメ聖堂の再建に尽力した信心深い篤志家のオルガス伯ルイス(1323年没)(ゴンサロ・ルイス・デ・トレド)の逸話を題材に描いています。伝説によると、オルガス伯ルイスが埋葬される時に、聖ステファノと聖アウグスティヌスが天国から降臨して、葬送に参列していた人々の目の前で、ルイスを埋葬したといわれています。

完成当時も話題作品

この絵画はサント・トメ教会の聖母マリア礼拝堂のために、教会司祭だったアンドレス・ヌニェスの依頼があり1586年から1588年にかけて描かれました。この絵が完成した1588年にはすぐに評判となり、多くの人々がこの絵画のためにオルガスを訪れるようになりました。

完成した当時、評判を集めた理由にはトレドの著名な人たちが『オルガス伯の埋葬』の作品の中で生き生きと描写されていたことにあります。そしてその土地の有力者で上流階級の人々にとっても、同じような階級の者が葬られている墓所を訪れることは当然のことでもあり、慣習ともいえることでもありました。

グレコは自分と自分の芸術を高く評価した聖職者、法学者、詩人、学者たちをこの作品の中に描くことで、不朽の存在にすることによって心からの敬意を表したと考えられています。ルイスの墓所の改装計画も進めた教会司祭のヌニェスも、この絵の右端の祈祷文を読んでいる人物として描かれています。この作品は、芸術性だけではなく、当時のトレドで最も社会的に著名だった人々の肖像を現在に伝えているという点においても高く賞賛されてきました。これはグレコがまれに見る非常に優れた肖像画家という評価をもたらしている絵画でもあります。

構図の分析

『オルガス伯の埋葬』の構図は2分割することができます。天界を表す画面上部は渦を巻いた氷のような雲で抽象的に表現されていて、天界の聖人たちが大きく幻想的に描かれているのに対して、現世を表す画面下部に描かれている人々はすべて通常の大きさで写実的に描かれています。

このように分割された天界と現世とが、参列している人々や人々の動作や仕草、そしてたいまつ、十字架といった表現効果により混然となって一つの画面を構成しています。

構図と人物

現世にあたる画面下部には、聖人による奇跡が顕現した場面が描かれています。天界にあたる画面上部には、正義の人ルイスの魂を天国へ迎えるために雲が二つに分かれたところが描かれています。

画面の最上部中央のイエス・キリストは光り輝く白い衣を身にまとい、左下の聖母マリアと右下のバプテスマのヨハネとで形作られた三角形の頂点として描写されています。この、イエスを中心にしたマリア、ヨハネで表す三角形の構図は、正教会でのビザンティン様式のイコンによく見られる伝統的な構図になっています。天界の栄光の象徴になるこの三人は、使徒、殉教者、聖書における王(この中には当時まだ存命のスペイン王フェリペ2世の姿も)や聖人たちに囲まれて画面中央に描かれています。

画面下部中央の、黄金と真紅の長衣を身につけた聖アウグスティヌスと聖ステファノは、周囲の黄色や赤色を反射してきらめく壮麗な甲冑に包まれた伯爵の亡骸を丁重に抱きかかえるように描かれています。

二人の聖人を指差す画面左下の少年はグレコの息子のホルヘ・マヌエルといわれていて、ポケットに見えるハンカチーフにはグレコの本名の「ドメニコス・テオトコプーロス」の署名と、グレコの息子ホルヘ・マヌエルの生まれた1578年という文字を見ることができます。

葬礼に参列している16世紀当時の服装を身に着けた人々は、間違いなく当時のトレドで著名だった人々です。そのほかにも、天界には聖ペテロ、聖トマス、モーゼなどが描かれているとされていて、現世に聖ステファノの顔の上に描かれている正面を見ている人物は画家のグレコ自身であるともいわれています。

色彩

この作品は、驚くほど豊富な色が使用されています。そして印象的で光に溢れた色彩が見事に調和しています。参列者が着用している黒の喪服には金色の飾りが施されていいて、そのことによってこの参列者たちが極度なまでに儀礼的な存在として表現されています。

画面上部の天界は、主に変光色と象牙色がかった灰色の透明感ある色彩が使われていて、金色に近い黄土色との調和を見せています。その一方で聖母マリアが身につけている深い青色が鮮やかな赤色と一体となって浮かび上がっています。このきらめく光と動きの表現手法が、この情景を躍動感溢れるものに仕上げています。

作品の評価

『オルガス伯の埋葬』は、グレコが独自の作風で描いた最初の作品と見なされています。この作品には、今までグレコの絵画に見られようなローマ風、ヴェネツィア風の様式、モチーフの影響は感じません。この作品で、グレコは自身の作品から他者の影響を払拭することに成功したといわれています。

この作品には地面はなく、地平線も空も背景もありません。それゆえに、この絵に不調和は存在していないため、超自然的な情景を見事なまでに表現することができたといえるでしょう。

グレコの研究で知られる美術史家のハロルド・ウェゼイは画面上部にある超自然的な天界の描写と、画面下部の印象的な群像肖像の対比こそが、驚くべき天才画家の芸術の一面を表していると述べています。さらにウェゼイは「エル・グレコの表現手法の特徴がこれ以上明確に表現されている作品は他にはない。この絵画の前に立ったときにはっきりとそのことが理解できる」と言っています。

この絵画の構成に、ビザンティン美術のイコンの題材にある「聖母被昇天」と密接に関係しているとする見解があります。この見解を裏付ける例として挙げられるのが、1983年にギリシアのシロス島の教会で発見された、グレコがクレタ島在住していた1567年以前に描いたテンペラ画の『聖母マリア永眠』のイコンが挙げられています。

美術史家のマリーナ・ランブラキ=プラーカは、この絵画とイコンとの間に関連性があると確信しています。また他にもロバート・バイロンが、「聖母マリアの永眠」というイコンの伝統的モチーフが『オルガス伯の埋葬』の画面構成のモデルと考えていて、エル・グレコは真のビザンティン派画家で、彼の芸術における物語性や叙述表現などは、その生涯を通じてビザンティン様式芸術からの構成、モチーフの影響を受けていると主張しています。

一方で前述のウェゼイは、この作品の構成がビザンティン美術の題材「聖母マリアの永眠」から派生したものであるという主張を「説得力がない」「この絵画は初期イタリアルネサンス様式と密接に関連している」として否定しています。

ウェゼイは反証として、絵画前面に押し込むように多くの人々を描くことによって空間の深みを表現している、初期フィレンツェ派マニエリストのロッソ・フィオレンティーノ、ヤコポ・ダ・ポントルモ、パルミジャニーノの名前を挙げています。さらにルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家ティントレットが描いた『キリストの磔刑』『ラザロの復活』の2枚の絵画を例示して、『ラザロの復活』では、奇跡の顕現をその背後で一列になって目にしている人々という構成上の類似を指摘しています。また、2人の聖人を亡骸にかがみこませるように描く楕円形の構図は、他のどの絵画よりもティツィアーノが「キリストの埋葬」をテーマにして描いた初期の絵画群に非常によく似ているとしています。

ランブラキ=プラーカは、『オルガス伯の埋葬』はグレコの画家としてのキャリアにおける歴史的な作品だとしています。「この絵画はグレコが自身の芸術、知識、技術、想像力、表現力を凝縮して、人々に提示している作品だ。彼の芸術すべてを表す百科事典ともいえる作品であり、今後も永遠に絶えることなく名作であり続けるだろう。」と述べています。

一方で画家の同時代人たちは他の要素に着目していました。1588年の参事会員アロンソ・デ・ビリェーガによる『フロス・サンクトルム』やその20年後のフランシスコ・デ・ピサの記したところによると、同時代のある一つの社会の公的人物が集まったことに着目していました。

イコンの影響で、ビサンティン派だと主張する人もいれば、これこそグレコが自身の絵を確立した作品だという評価をする人もいますが、間違いなく『オルガス伯の埋葬』はエル・グレコの最高傑作の作品でもあり、当時の著名人がたくさん絵に登場していたこともあって、絵が完成した当時もトレドではかなり話題になりました。

1312年に亡くなったトレド出身のオルガス首長ドン・ゴンサロ・ルイスは信心深く正義感に満ちた騎士でもあり、グレコの教会区教会でもあったサント・トメ教会の拡張と内装のために多額の遺産を残していました。荒れ果てていたサント・トメ教会の復興に尽くしたオルガス伯が亡くなってから約300年の時を経て、『オルガス伯の埋葬』というグレコの傑作として発表され、さらに21世紀に入ってもこの作品を見るためにサント・トメ教会を訪れる人々は世界中からたくさんいます。

エル・グレコの最高傑作と言っても良い作品であることは、歴史が証明しているといっても過言ではありません。


 
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