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マニエリスムの技法

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マニエリスムの技法

エル・グレコが37歳の時にトレド大聖堂からの発注を受けます。そして大聖堂からの依頼は、新約聖書からの題材で、イエスキリストが十字架かけられる直前の衣服を剥がれる姿を主題にしたテーマで制作依頼がありました。この主題はマルコによる福音書の16行から19行に渡って記されていて「聖衣剥奪」というテーマは当時極めて珍しいものでもありました。

大聖堂からグレコに依頼があった経緯は、ローマ時代にグレコの親友だったルイス・デ・カスティーリャの父親ディエゴ・デ・カスティーリャが、その当時聖堂の司祭長の職にあったためにグレコへの依頼が実現したといわれています。

『聖衣剥奪』

現在、カテドラルの聖具保管室の新古典風祭壇の中央に堂々と飾られている絵ですが、その当時は非常に議論を巻き起こした作品になっています。その理由に挙げられているのが、対抗宗教改革が、イエス・キリストが拷問されて、公衆の面前で裸にされる辱めを受けて、痛みを伴う苦しみを味わう姿を公表するように要求したのに対して、エル・グレコが描いたイエス・キリストは、裸ではなく真っ赤に輝くチュニカをキリストにまとわせて、キリストを超人の姿で描いていたからです。

そして画面左下に描かれた聖母マリア、マグダラのマリア、小ヤコブの母の存在があります。聖書では彼女たちに関する記述がなかったために、グレコのこの解釈は異端的と考えられることになってしまいました。

画面構成
そして真っ赤なチュニカ、聖母マリアたちの存在だけではなく、キリストを取りまく群衆の頭が、キリストよりも上に描かれていることも批判の対象にされました。平面的で上下方向に積み上げていく傾向はマニエリスムにみられる傾向ですが、その当時はとても斬新だったがゆえに批判されたと考えられています。マニエリスムの大きな特徴でもあるドラマティックで、やや大げさな人物の描写が、見所のひとつでもあります。そして視点移動を伴う動的空間や、バロックの先取りとみられるダイナミックな身体表現などがこの作品で表現されています。

聖三位一体

現在プラド美術館に所蔵されている『聖三位一体』も間違いなくグレコの残した数多い傑作のひとつです。この作品はトレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂のために制作されました。

この作品は、エル・グレコ特長でもある力強く荒々しい筆跡と、マニエリスム独特の人体表現の奔放さが、作品の中で劇的に表現されています。深い陰影と、引き伸ばされた人体構造によって表現される父なる神とイエス・キリストは、高い聖性を示すものとして、その当時の宗教関係者や知識人から、圧倒的な支持を得た作品でもあります。

ミケランジェロの彫刻作品『ピエタ』や、ドイツ・ルネサンスの巨匠のアルブレヒト・デューラーの木版画を元にした構図で、この作品は展開されいますが、主題となる【聖三位一体】は、神の実体は唯一でありながらも、その位はこの世のあらゆるものを創造した父なる神と人間の罪を十字架上で償ったイエス。そして使徒などに下される聖霊が鳩として描かれていて、イエスと創造者の父、そして聖霊が同位で存在することを意味していて、現在のキリスト教の最重要教義とされているものを作品で表現しています。

マルエリスム

マルエリスムは、ルネサンス後期の美術でイタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉になっています。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたります。

ミケランジェロに代表される盛期ルネサンスの成果は圧倒的です。芸術は頂点を極めて、全て完成されたと考えられていました。

ミケランジェロの弟子ヴァザーリはミケランジェロの「手法(マニエラ」を高度の芸術的手法と考えていて、マニエラを知らない過去の作家に対して、現在の作家が優れていると説いていました。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロといった盛期ルネサンスの巨匠たちは古典的様式を完成させました。これをヴァザーリは普遍的な美の存在を前提として、「最も美しいものを繋ぎ合わせて可能な限りの美を備えた一つの人体を作る様式」として、「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と定義づけました。

1520年頃から中部イタリアでは巨匠たちの様式の模倣が目的とした芸術が出現したことで、「マニエラ」は芸術作品の主題となりました。 16世紀中頃からのマニエリスム期には、ミケランジェロの「マニエラ」を変形させて用いた作品が特徴的になっています。例えばシスティーナ礼拝堂の壁画「最後の審判」に見られるような、曲がりくねった、引き伸ばされた人体表現が多用されました。

マニエリスムは、盛期ルネサンス芸術の明快で調和の取れた表現や、バロック芸術の動感あふれる表現とも異なった特有の表現として位置づけることができます。その時代背景としてローマ略奪以降の、宗教改革の時代の不安な社会情勢が理由として挙げられます。

建築でのマルエリスム

古典主義では同じ大きさの柱を並べるのが一般的でしたが、ヴィニョーラは、古典的形態要素を自由に組み合わせ大胆な平面の建物を設計して、パラディオはファサードの列柱の柱を大小混在させました。

盛期ルネサンスまでの芸術作品は教会や広場など公共施設に置かれることが多かくありましたが、マニエリスム期の作品の多くは宮廷などの閉じられたサークルの中で鑑賞されていました。


 
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