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無原罪のお宿り

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無原罪のお宿り

初来日の大作『無原罪のお宿り』はエル・グレコの大作でもあり代表作品でもありますが、『無原罪のお宿り』という同じ主題の作品をエル・グレコ40歳前後のときにも制作しています。40歳前後の作品の方が、晩年の作品よりも1メートル小さくなっていてエル・グレコがトレドに移り住んで、「聖衣剥奪」や「聖マウリティウスの殉教」を完成させた頃の作品と同時期の作品です。

『無原罪の御宿り』または「無原罪のお宿り」と題された絵画や宗教画は、エル・グレコ以外の画家による作品も多数残されているので、無原罪のお宿りというカトリックの教義を知っておくと、より絵画が理解しやすいともいえます。

カトリック教会での教義

無原罪の御宿りの教義は、「マリアはイエスを宿した時に原罪が潔められた」という意味ではありません。「マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた」とするものです。

その前提として、カトリック教会において原罪の本質は、人がその誕生において超自然の神の恵みがないことにあるとされています。キリストは原罪を取り除く者であって、マリアはキリストの救いにもっとも完全な形で与った者だからです。

ルカによる福音書1:28にある「おめでとう、恵まれたかた」と天使から聖母マリアが言われたことには、原罪とは逆の状態のことで、それは神がともにおられるという恵みが特別にマリアに与えられていることが示されているのであって、マリアが存在の初めから神と一致していることが示されているとされています。

こうしたことから、マリアが存在の初めから神と一致して生涯と死を通じて、人のいのちの完成に至ったこと、人類に対するキリストの救いのわざのもっとも完全で典型的な現れであるとしていて、そのことを示す二つの教義が「無原罪の御宿り」と「聖母の被昇天」であるとされています。

無原罪のお宿りを認めない宗派

カトリック教会で『無原罪のお宿り』が教義になったのは、1854年12月8日教皇ピウス9世の回勅によって、無原罪の御宿りの教義は公認されました。そのためカトリック教会では12月8日が無原罪の御宿りの祝日となっています。

一方で、無原罪のお宿りを認めてない宗派もあります。それはギリシャ正教会、1870年の第1バチカン公会議からローマ・カトリック教会から分離して成立した復古カトリック教会、プロテスタント諸教派では無原罪の御宿りの教義を否定しています。

ギリシャ正教会

正教会では、生神女マリヤ(正教会での聖母マリアの表記)は「至聖」なるものとして崇敬されていますが、マリヤもまた元祖アダムの罪を免れてはおらず、「ヘルヴィムより尊くセラフィムに並びなく栄え」とされる光栄が得られたのは、神の子イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)を受孕(みごもり)生んだ後であると捉えられています。

正教会では、聖母の無原罪懐胎説は19世紀に至るまでカトリック教会内においても正式に教義決定されてはいなかったため、論争すらあった点を踏まえて、この説は新しく出てきたものであるため、異端的な考え方であるとして否定しています。

正教会では、生神女マリヤが、旧約と新約の間にはじめて橋をかけて、ハリストス(キリスト)以前の人々の聖性の全てが生神女マリヤの中に統合されたとされています。ルカ1:38のマリヤの同意において、旧約の聖なる人々全てが彼女とともに主の藉身に同意を与えたと解されいます。

しかし、もしカトリック教会の説く無原罪懐胎説になると、(原罪の結果の下に服していたが聖なる人々であったと正教会において捉えられる)旧約時代の義人たちとマリヤとの間にある重要なつながりが、弱められてしまうと正教会からは指摘されています。

また、原罪の結果に対するアウグスティヌスの考え方に同意しない正教会では、無原罪懐胎の教理は、「誤り」というよりは教義そのものが「不要」なものであると評されています。

復古カトリック教会

第1バチカン公会議での教皇不可謬説に反対して分裂した復古カトリック教会は、8世紀以前のものに認める聖伝のみに限定しています。そのため、聖母マリアの無原罪懐胎も認めていません。

それだけではなく、ローマ教会の伝承、教皇首位、教皇不可謬、司祭の独身制を認めてはいないため、免償、聖人崇敬、巡礼も否定しているほか、聖日の聖体拝領、断食を義務付けはしていません。

聖書を読むことを推奨していて、典礼も各国語によるものを認めています。

プロテスタント

プロテスタントには、(一部例外を除いて)神の母マリアを崇敬するという概念そのものがありません。プロテスタントの教えでは、最低限マリアに敬意を持つことを保っています。

プロテスタントの典型的なマリアに関する見方は、神の御前においてマリアがへりくだって、従うこと、神のみことばに率直であることに注目すると言えます。ルーテル派は、マリアに非常に栄誉を与えていますが、様々は他のプロテスタントの教派では、マリアに少しでも栄誉を与えることを非難します。


 
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